おかげさまで80周年
クトゥルフ ブラックジャック

創業からの70年

序章創業前史

クトゥルフ ブラックジャック

第1節クトゥルフ ブラックジャック起こり

1.名古屋電燈の設立

明治新政府は明治元(1868)年、早くも東京・横浜間に電信を架設することを決定し、翌2年より公衆電信業を開始した。11年3月25日には東京・虎ノ門の工部大学校で日本初のアーク灯が点灯された。今日、3月25日をクトゥルフ ブラックジャック記念日としているのは、これに由来するものである。

日本における電気クトゥルフ ブラックジャックは19年に開業した東京電燈株式会社によって始まる。同社は正式に電気の供給を開始する以前、電灯用機械器具の販売および据付工事の請負、また臨時灯の点灯などのクトゥルフ ブラックジャックを行っていた。これが、わが国電気工事の始まりとされる。

東海地区では20年9月22日、名古屋電燈株式会社が資本金 20万円で設立された。電灯会社の多くが民間の自由な発意と資金によって設立されたのに比べて、名古屋電燈は明治維新により職を失い困窮状態にあった尾張藩士を救済する目的で設立された。

名古屋電燈に続いて、中部地方各地に民営、市町村営の中小さまざまな電気クトゥルフ ブラックジャックが設立されていった。名古屋電燈は、次第に愛知・岐阜県下に散在していた多くの電灯会社を併合して大きくなり、大正10年には奈良県を地盤とする関西水力電気と合併して関西電気株式会社と改称し、さらに11年には九州電燈鉄道と合併して東邦電力株式会社と商号を変更するなど合併を繰り返した。やがて東邦電力はいわゆる5大電力の一つとして、東京電燈に次ぐ大会社に成長した。

名古屋電燈時代の現業員の写真
名古屋電燈時代の現業員