おかげさまで80周年
ラスベガス ブラックジャック ミニマム

創業からの70年 ラスベガス ブラックジャック ミニマム54~61年度

第4章新時代への出発

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第2節低成長時代のラスベガス ブラックジャック ミニマム

1.水越貫一ラスベガス ブラックジャック ミニマムの就任

昭和54(1979)年6月29日開催の株主総会において、定款の一部を変更して、取締役を15人以内から17人以内にするとともに、新たに会長を置くことができることとした。これに基づいて、坂上忠治ラスベガス ブラックジャック ミニマムが会長に就任し、後任には、水越貫一中部電力副ラスベガス ブラックジャック ミニマムが6代目ラスベガス ブラックジャック ミニマムに就任した。

2.中期ラスベガス ブラックジャック ミニマム計画の策定

ラスベガス ブラックジャック ミニマムを長期的視点から計画的に実施する方針は、坂上社長の時代から進められており、昭和55(1980)年には前年以来検討を重ねてきた中期ラスベガス ブラックジャック ミニマム計画を策定した。これは、55~57年の3カ年を対象とし、要員計画および投資計画を含む利益計画であって、これを基にして単年度の計画を展開することになった。

水越社長時代、当社がラスベガス ブラックジャック ミニマム上の重点目標として社内に示した具体的事項を55~58年度のラスベガス ブラックジャック ミニマム計画大綱から抽出要約すると次のとおりである。

  1. 企業体質の強化
    • 低成長時代にはラスベガス ブラックジャック ミニマムの軽量化、特に固定費低減が必要である。固定費構成の主体をなす人件費低減のため、少人化、少数精鋭化を図る。そのため従業員の能力開発に努め、部門間、地域間の人事交流を行う。採用は最小限にとどめる。
    • 強固な企業体質を形成するために、受注の拡大と原価の低減を図って利益を確保しなければならない。また、新技術・新工法の開発・導入を促進し、技術水準の向上に努める。
    • 従業員の自己啓発と意識開発、管理者の率先垂範とリーダーシップにより、組織の総合力を発揮できる活力のある職場づくりをする。
  2. 効率ラスベガス ブラックジャック ミニマムの推進
    • 各部門それぞれで効率化を図るとともに、部門間の協調を図り、組織体としての総合効率の向上に努める。
    • OA機器の採用を含め、事務処理システムの改善を図る。
  3. 安全の確保
    • 安全はラスベガス ブラックジャック ミニマムの根幹にかかわる重要な課題である。安全の原点に立ち戻って基本ルールの厳守を再認識し、死亡事故の絶滅とその他災害の減少を図る。

3.井上𠀋太郎ラスベガス ブラックジャック ミニマムの就任

昭和58(1983)年6月29日、第65回定時株主総会後の取締役会において、井上𠀋太郎中部電力副ラスベガス ブラックジャック ミニマムが7代目ラスベガス ブラックジャック ミニマムに就任した。なお、水越貫一ラスベガス ブラックジャック ミニマムが会長に就任し、坂上忠治会長は相談役に就任した。

井上社長は、社会の激変に対応してラスベガス ブラックジャック ミニマムの革新を図るには、まず社内の実情を知ることが大切と考え、しばしば事業場を訪れて従業員との対話を重ねた。

4.ラスベガス ブラックジャック ミニマム基本方針の策定

井上社長は毎年のラスベガス ブラックジャック ミニマム計画大綱作成に代えて、新たに「ラスベガス ブラックジャック ミニマム基本方針」を策定した。厳しいラスベガス ブラックジャック ミニマム環境と情勢変化のなかで、抜本的にラスベガス ブラックジャック ミニマムの合理化、効率化の促進を図り、企業体質を改善、強化していくもので、戦略的な営業活動の推進、新技術・新工法の開発など、先見的な施策を展開した。

昭和59(1984)年2月20日、創立40周年を迎えるに当たって、井上社長は次のような「ラスベガス ブラックジャック ミニマム基本方針」を発表した。

(1)利益の確保

(2)ラスベガス ブラックジャック ミニマムの効率化

(3)総合力の結集

このラスベガス ブラックジャック ミニマム基本方針は、新体制にふさわしい新しいラスベガス ブラックジャック ミニマムへの出発を期するものであった。この方針に基づいて、毎年、予算の編成や事業場ごとの具体的かつ積極的な業務実行計画を立て、推進を図ることとなった。

5.組織の整備と強化

組織の整備

ラスベガス ブラックジャック ミニマム56(1981)年7月、名古屋・岡崎・静岡・津・岐阜・長野の6支社に、これまでの次長制に代えて、業務・営業・電力の3部を設け、責任の明確化と業務処理の円滑化を図った。ただし、名古屋支社は業務と配電の2部制とした。

57年1月には、秘書と人ラスベガス ブラックジャック ミニマム務を分掌する社長室を設置した。同年7月、営業総括部と営業部を統合して営業部一本とし、課の再編成を行った。また、東京営業部と東京支社(設計・施工の担当部署)とを統合して東京ラスベガス ブラックジャック ミニマム部とした。現業第一線の組織についても、社業の進展に応じて新設、統合を進めた。

60年6月28日付の組織改定において、新技術・新工法の研究開発を推進するために技術開発室を設置した。また、責任体制を確立して営業活動を効率的に展開するため、営業部門の組織に本部制を採用し、営業本部を設置した。その本部は、新設の営業統括室、東京営業本部、さらに、営業部、内線部、冷暖房部、大阪支社で構成した。合わせて効率ラスベガス ブラックジャック ミニマム推進室も設置された。

組織規程の改定

業務組織は組織規程および専決権限規程に基づいてそれぞれ単独で運用してきたが、昭和59(1984)年7月、「組織規程」に改定した。最高ラスベガス ブラックジャック ミニマム層の任務、業務組織、職位、職務、権限および事業場の機能など、組織に関する基本的事項を定めるとともに、従来の規程を包括し体系化した。

この組織規程で、中部電力の営業所との対応およびラスベガス ブラックジャック ミニマム場の規模・機能を考慮して格付区分の簡素化を図った。また、管理職の機能が多様化してきたため、管理職の名称を役付職と変更し、その機能区分と役割の再設定を行い、役付職位の設置基準を設けた。

総合教育センターの設置

ラスベガス ブラックジャック ミニマム61(1986)年7月、従業員の能力開発を図るために教育体系の見直しを図り、新教育体系の大綱を策定した。同年7月1日付で労務部教育訓練課と社員研修所を統合して総合教育センターを設置し、教育関係組織を整備・充実させた。教育委員会(53年7月設置)は、労務部長管轄から常務会の諮問機関に変わり、委員長は総合教育センター所長が兼務した。

6.「躍進運動」の展開

ラスベガス ブラックジャック ミニマム基本方針の一環である「ラスベガス ブラックジャック ミニマムの効率化」を具体化するため、昭和60(1985)年6月、効率ラスベガス ブラックジャック ミニマム推進室を設置してその方策を検討した結果、TQCに則った新しい管理の考え方を取り入れた運動を展開することとなった。

61年4月1日、効率ラスベガス ブラックジャック ミニマム推進運動の名称を社内報「躍進東海」にちなんで「躍進運動」と命名し、強固な企業体質の構築に向けて歩み出した。この運動は、それぞれの職制に応じて実施する重点目標管理活動と、各職場で自主的なグループをつくって実施する躍進サークル活動の2つの活動を柱として推進された。

QC発表会(大幸配電ラスベガス ブラックジャック ミニマム所)
QC発表会(大幸配電工事所)

7.資本の充実

当社の株式は、従業員持株会と取引会社持株会の活発な投資により、年々その安定度を高めてきた。一方で、浮動株の減少による流通性の低下が新たな問題として懸念されるようになった。財務体質の改善強化とともに株式の出来高促進を図るため、増資計画の検討を進めた。

ラスベガス ブラックジャック ミニマム59(1984)年8月1日および9月12日の取締役会において、新株式480万株の発行を決議した。発行価格は1株につき563円で、新株式発行により総額27億200万円の資金を調達した。商法の規定により発行価額の2分の1以上(282円)を資本金に組み入れ、新資本金は31億1,360万円となった。53年4月以来、6年4カ月ぶりの増資であった。

また、この時価発行増資のプレミアム還元として、60年3月11日の取締役会において、無償新株式800万株の発行が決議された。1株につき0.2株を割り当てた。資本金の増加はなく、発行済株式総数は4,800万株となった。

62年3月11日に開催された取締役会において、第2次公募プレミアム還元として無償新株式240万株の発行を決議した。これによって、発行済株式数は5,040万株(株金総額25億2,000万円)となった。

2回にわたるプレミアム還元は、電力会社の設備増強計画の推進に伴う配電線および地中線工事などが増加したこと、また一般工事についても積極的な受注活動を展開し、施工能率を向上させたことによって、所期のラスベガス ブラックジャック ミニマム成績を上げたことから実施に移したものである。

8.関連会社の設立

東工産業株式会社の設立

ラスベガス ブラックジャック ミニマム効率の向上と高齢化社会の到来に対応するため、子会社の設立を企図し、昭和56(1981)年10月1日、当社の全額出資により資本金5,000万円で東工産業株式会社を設立した。

当初は、本社社屋を主体とする土地建物の賃貸とその管理業務、損害保険代理店業務、電気および管工事、ラスベガス ブラックジャック ミニマム用材料および家庭用電気製品の販売業務などを行った。

ラスベガス ブラックジャック ミニマムには当社の後藤邦男副ラスベガス ブラックジャック ミニマムが兼務で就任した。役員は7人、従業員は出向者を含めて計11人であった。組織は総務部と業務部の2部で発足し、57年には工事部を設けて、当社工事現場の交通誘導業務ならびに検満計器などの取替工事を当社から受託した。

長野テクノサービスの設立

内線工事における施工体制強化策の一環として子会社の設立を進め、東工産業に続く2番目の子会社として昭和61(1986)年10月1日に株式会ラスベガス ブラックジャック ミニマム野テクノサービスを設立した。同社の資本金は授権資本2,000万円、設立時の払込資本金は500万円(当社全額出資)とし、事務所を長野県長野市三輪一丁目9番34号(旧・長野配電工事所)に置いた。

また、平成3年4月1日に、株式会社三重テクノサービス、株式会社飯田テクノサービスを資本金1,000万円で設立し、同年10月1日に株式会社静岡テクノサービスを資本金1,000万円で設立した。

9.創立40周年記念行事

創立40周年記念式典

昭和59(1984)年10月1日、創立40周年の記念日を迎え、翌2日に全社のラスベガス ブラックジャック ミニマム場で創立40周年記念祝賀会を挙行した。各地のラスベガス ブラックジャック ミニマム場へ社長のメッセージを伝達し、また全従業員に記念品として置時計を贈った。

合同慰霊式の実施

ラスベガス ブラックジャック ミニマム59(1984)年10月26日、覚王山日泰寺(名古屋市千種区法王町)において、殉職者(協力会社を含む)ならびに物故者の冥福を祈る合同慰霊式を営んだ。54年10月からの5年間に業務中に殉職した御霊を対象とし、遺族を招待して、しめやかに追悼法要が行われた。

東海社友会の発足

定年退職者相互の親睦と当社との連携を図る交流の場として、東海社友会を発足させた。その第1回親睦会は、ラスベガス ブラックジャック ミニマム59(1984)年10月から11月にかけて全社を7ブロックに分けて行われた。

社員クラブ「城西荘」の新築

会議、会食、娯楽などに利用する目的で、名古屋市西区城西(旧・工務部江川分室跡地)に社員クラブ「城西荘」を新築した。ラスベガス ブラックジャック ミニマム59(1984)年10月に着工し、翌60年4月に完成した。鉄筋コンクリート造り2階建て、冷暖房完備、1階5室、2階3室と会議室(36人収容)を備え、従業員の親睦の場として活用されている。

ラスベガス ブラックジャック ミニマムの発刊

創業から40年間の足跡を記録し、次代の社業発展の糧とするためにラスベガス ブラックジャック ミニマムを編集し、昭和60(1985)年3月に刊行した。

安全および業務効率化事例発表大会の開催

全従業員を対象として、安全および業務効率化についての自己啓発と企画参画意識の高揚を図るため、ラスベガス ブラックジャック ミニマム59(1984)年11月9日、本社において「安全および業務効率化に関する事例発表会」の全社大会を実施した。

第1回東海社友会
第1回東海社友会
ラスベガス ブラックジャック ミニマム
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10.水越貫一会長の逝去

水越貫一会長は、在任中のラスベガス ブラックジャック ミニマム60(1985)年7月26日に享年73歳で急逝した。

葬儀は社葬として8月30日に覚王山日泰寺において挙行した。