おかげさまで80周年
カウンティング ブラックジャック

創業からの70年 昭和25~42年度

第2章カウンティング ブラックジャック基盤の確立

カウンティング ブラックジャック

第3節カウンティング ブラックジャック活動の進展

1.カウンティング ブラックジャック量の著増

この時期の日本経済は景気の谷間があったとはいえ、岩戸景気、オリンピック景気、いざなぎ景気を相次いで迎えて好況を呈し、電力需要は大いに伸長した。当社の受注環境も良好で、完成カウンティング ブラックジャック高は著しく増加した。

当時、カウンティング ブラックジャックの主流は委託配電線カウンティング ブラックジャック(外線カウンティング ブラックジャック)であった。電源開発や送電系統強化のための送電線カウンティング ブラックジャックが増加し、中部電力だけでなく電源開発株式会社や沖縄駐留米軍からも受注した。また、発変電所カウンティング ブラックジャック、地中線カウンティング ブラックジャック、土建カウンティング ブラックジャック、通信カウンティング ブラックジャックなどにも進出した。尾鷲幹線、知多火力線、高根幹線などの大規模送電線の建設や、東名古屋、西名古屋、知多火力併設などの超高圧変電所の建設に参入し、当社の技術水準は大いに向上した。

屋内線カウンティング ブラックジャック(1件1億円以上)については、官庁、学校、病院など公的施設が多かったが、ビルや工場の施工も次第に増加した。東海銀行本店をはじめ、東海パルプ本社工場、三菱地所大名古屋ビル、清水建設オリエンタルビル、愛知県分庁舎、中電ビルなどを施工した。

中電ビル
中電ビル

2.配電線カウンティング ブラックジャックの直営化

中部電力では配電線カウンティング ブラックジャックの施工について、昭和28(1953)年までは当社に委託することを原則とし、一般保守カウンティング ブラックジャックのみを中電直営で施工してきたが、29年以降は技能向上のため約30%を直営とし、残り70%を当社に委託することとした。34年、中部電力の現業組織の変更に伴い、再び全面当社委託に切り替えた。

当社が発展期を迎えて経営の合理化および近代化を進めるに当たり、従来のカウンティング ブラックジャック事務所・カウンティング ブラックジャック長制度の弊害が目立つようになってきた。中部電力からも改善を求められ、27年10月以降、カウンティング ブラックジャック長所有のカウンティング ブラックジャック事務所の買い上げや事業設備拡張を実施し、直営化を推進した。この直営化を推進するためには多額の資金を要した。

さらに、30年5月より、中部電力は業務合理化のため、従来行われていた外線カウンティング ブラックジャック用材料の全面支給を改め、付属材料は当社持ちとして金銭決済をすることとした。(注)資金力の乏しいカウンティング ブラックジャック長はカウンティング ブラックジャック事務所の継続が困難となり、結果的に整理が促進された。カウンティング ブラックジャック長以下入社を希望した2,600人に及ぶ人員を迎え入れて、31年上期中に直営化の事業は完了した。

直営化による現業員数の推移単位:人

年次 総人員 直営化人員(%)
昭和26 2,542 0 (0.0)
27 2,806 442 (15.8)
28 3,806 834 (25.3)
29 2,837 758 (26.7)
30 2,594 1,150 (44.3)
31 2,600 2,600 (100.0)

(注)配電線カウンティング ブラックジャックに使用される材料は、電柱、電線、変圧器をはじめ碍子類、ストラップ、アームタイ、ボルトに至るまで、一部の消耗品を除いて、すべて中部電力から支給されていた。中部電力の配電線設計者は各材料の拾い出しに苦労し、カウンティング ブラックジャック会社の現場では材料の受払事務や竣工後の数量精算の煩雑さに苦しんできた。全国に先駆けて実施された碍子類以下の付属材料金銭決済制度は両社にとって合理化をもたらすものであったが、当社には資金面などの問題も発生した。

3.機動化・機械化の推進

戦後、海外から電気材料・機器・施工法の新技術が導入されたのに対応して、昭和29(1954)年4月、電気工作物規程の大幅な改定が行われ、作業の機動化・機械化が急務となってきた。当社はこの流れに先行し、23年に配電部門に自動三輪車を導入したのをはじめとして、30年以降、積極的に機動化を推進した。

電柱の建植はツルハシ、スコップなどを使って手作業で行ってきたが、27、28年頃から動力による建植機や穴掘機を導入し、30年にはコンクリート柱の輸送・建植兼用トレーラー、32年にはアメリカ製のホールデッガーを採用して、輸送や作業の機械化を進めた。35年にはアースオーガー車の第1号車も登場し、配電線カウンティング ブラックジャックは本格的な機械化作業の時代に入った。

送電線カウンティング ブラックジャックにおいては、32年に初めてヘリコプターによる架線が実施された。また、変電所カウンティング ブラックジャックに大型クレーン車を増強するなど、新機材の導入によってカウンティング ブラックジャック能力の強化を図った。(注)

その後、車両については、三輪車から積載量や安全性に優れた四輪車への移行を進め、自走式作業用機械設備いわゆる特装車の台数を増やした。特装車の性能面も年々改善され、配電線カウンティング ブラックジャックの能率と作業性の向上に寄与した。

事務機械化については38年に初めて小型コンピューターを導入し、本社分の給与計算の処理を開始した。

(注)送電線建設の際の資材運搬は長年人の背によって行われてきたが、昭和30年前後、電源開発の佐久間西幹線の建設の頃から、運搬は本格的な索道による方法になってきた。運搬だけではなく延線にもヘリコプターを使用する動きがでてきた。32年2月、中部電力の7 万V日進瑞穂線において、日本最初のヘリコプターによるナイロンロープ延線試験が行われ、見事に成功した。当社は日ヘリ航空とともに中部電力に協力した。試験ではヘリの速度とリールに巻いたナイロンロープの繰り出し速度とのバランス調整に苦労したという。

コンクリート柱の運搬
コンクリート柱の運搬

4.伊勢湾台風の復旧作業

昭和34(1959)年9月26日、中部地方を襲った伊勢湾台風は暴風、大雨、高潮によって各地に大きな被害を与え、中部電力の設備も各所で寸断し、復旧に3カ月を要する打撃を受けた。停電による社会的な影響は大きく、復旧作業は災害対策の最重点課題であった。

災害発生直後から全社を挙げて復旧作業に従事した。最盛期には本社ならびに各支社において約3,200人がそれぞれの所属する地域で復旧に当たったほか、静岡・岐阜・長野・飯田の各支社から合計約300人を動員し、被害激甚な名古屋・岡崎両支社管内の作業を応援した。

この台風復旧作業の経験は、36年9月の第2室戸台風で被害を受けた関西電力の送電線復旧カウンティング ブラックジャック応援の際に生かされた。

伊勢湾台風被害の復旧作業
伊勢湾台風被害の復旧作業