おかげさまで80周年
ブラックジャック カウンティング

創業からの70年 昭和54~61年度

第4章新時代への出発

ブラックジャック カウンティング

第3節ブラックジャック カウンティング

1.配電部門

概況

中部電力からの委託ブラックジャック カウンティング受注量は、昭和53(1978)年度には配電線の電線絶縁化張替ブラックジャック カウンティングがピークを過ぎ、第二次オイルショックによる不況の到来と相まって、54年度から57年度にかけては年々減少した。

55年度当初には大幅なブラックジャック カウンティング量減少が予想されたため、緊急対処方針を設定して、全従業員が一致団結して難局の克服に努めた。新規採用は抑制し、57~59年度の間は新卒の採用を中止した。

一方で、直営勢力の稼働率・施工能率の向上を図った。中部電力に対しては現場の近接したブラックジャック カウンティングの一括同時発注を要望して、施工の効率化を図った。協力会社に対しては一部圧縮、整理の措置をとった。また、車両の合理化や効率化によって費用の節減に努めた。

58年度半ばから中部電力の公共保安・耐雷ブラックジャック カウンティング・停電減少ブラックジャック カウンティングなどが推進され、委託内外線ブラックジャック カウンティング量は増加の一途をたどった。60年度に入ると、中部電力の設備増強計画に伴って配電線ブラックジャック カウンティングが増加し、61年度には供給信頼度向上対策の推進により停電減少対策ブラックジャック カウンティング・自動化ブラックジャック カウンティングが増加した。62年度には過去最大のブラックジャック カウンティング量を記録し、40年代の約3倍に達した。

58年9月、従来の施策を抜本的に見直し、施工技術に関する基本的な運用事項を定めた「技術指針」を制定した。その後、施工者責任を主眼に改訂を加えて、「優良ブラックジャック カウンティング」という呼称を「良質ブラックジャック カウンティング」と改めた。

作業前の打ち合わせ
作業前の打ち合わせ

機動化・機械化の推進

作業の機動化については引き続いて推進し、二輪車を軽四輪車に切り替え、安全対策と作業の効率化を図った。昭和52(1977)年度以降、作業車のディーゼル化を進めたほか、従来4年としていた車両の更新年限を延伸して、増加に伴う経費の削減に努めた。

災害時やブラックジャック カウンティングの際などの連絡用として、配電関係の全事業場のほか電力・地中線の各部門にわたって、業務用無線電話を設置し、56年度には配備を完了した。また、58年度以降、都市部から緊急連絡用として当時モバイル端末として普及し始めたポケットベルの使用を開始した。

機動化・機械化は、配電線ブラックジャック カウンティングの効率化だけでなく、従業員にとって魅力的な作業環境の形成にも積極的に推進した。58年度には3段ブーム式の小型穴掘建柱車D500ESおよび中型穴掘建柱車D704ES、59年度には電線巻取装置(油圧式)、バッテリー駆動装置付SH-136型高所作業車などを採用した。60年度にはウインチ装置付作業車(TP-1型)と高所作業車(特注工具付SH-136型)、車載型油圧式電線巻取機車などを開発した。61年度には外線ブラックジャック カウンティング用高所作業車の1班1台制を導入した。

新ブラックジャック カウンティング・新工法の開発

パンザーマスト解体工具

柱上で人力によってパンザーマストの解体を行うのは労力を要するだけでなく、本体を損傷させることが多かったため、油圧ジャッキを利用した解体工具を開発した。

業務の開発(小口ブラックジャック カウンティング)

光ファイバー時代の到来に先駆け、昭和58(1983)年より光ファイバー接続技術者の養成を始めた。翌年にはその成果が実り、ブラザー工業から亘長約10kmの光ファイバーケーブル敷設ブラックジャック カウンティングを受注した。

61年度には、中部ブラックジャック カウンティングが開発した移動用乾燥実験装置の改良について業務を委託され、各種食品の貯蔵・乾燥試験を実施した。試験データの集約などに約4年を費やし、エネルギー効率利用の研究に一役買った。

62年度には、中部電力が配電線自動化システムのブラックジャック カウンティングを開始した際に、当社は子局を電柱に取り付けるブラックジャック カウンティングを受注した。それに付帯して、子局の機器メーカーから試験業務などを受注し、名古屋・岡崎・長野の各支社管内において施工に当たった。

2.ブラックジャック カウンティング部門

(1)送電線ブラックジャック カウンティング

概況

電力部門は昭和54(1979)年から55年にかけて、中部電力の東部幹線50万V昇圧ブラックジャック カウンティング、北部変電所50万V昇圧ブラックジャック カウンティングを行ったほか、54年から58年にかけて、関西電力の50万V湖東南京都線、50万V東近江幹線、50万V御坊幹線などを手がけた。

56年度の受注高は125億円に達したが、57年度に入ると中部電力および関西電力の大型送電線ブラックジャック カウンティングや変電所ブラックジャック カウンティングが減少し、受注高は低迷した。このような事態に対処して、新規採用の抑制、管理監督者の効率化、協力会社の育成、本・支社間の相互支援などによって、少人化を図った。また、ブラックジャック カウンティングの急激な大型化に対応して技術力の向上に努めるとともに、ヘリコプターの利用、大型クレーン車の導入など、作業の機械化を進めた。

その後、50万V信濃幹線、伊勢幹線および海外ブラックジャック カウンティングなどの大型ブラックジャック カウンティングを受注してブラックジャック カウンティングを進めた。60年度の受注高は一時的に前期比26.8%の減となったが、61年度に入ると、電力会社の電源・流通の基幹設備ブラックジャック カウンティングの発注増により、受注高は前期比110.5%と大幅に増加した。完成ブラックジャック カウンティング高も手持ちの大型ブラックジャック カウンティングの完成により前期比23.3%増となった。62年度に入ると、前年度からの継続ブラックジャック カウンティングが主体であったため、受注高は前期比20.7%減となった。

機動化・機械化の推進

昭和58(1983)年度には50万V伊勢幹線鉄塔組み立て用にクライミングクレーン(注)を採用した。60年度には墜落防止対策の万全を期して安全帯のキーロック方式(注)の設備を採用した。61年度は全旋回型のジブクレーン(注)3台を配備し、川越火力線新設、西濃西部線の増強ブラックジャック カウンティングなどに採用した。62年度はクライミングクレーン(U-46)を配備し、超大型鉄塔組立ブラックジャック カウンティングに採用した。

(注)クライミングクレーン
鉄塔の中心に据え付けて、塔体内部をせり上げていく全旋回タワークレーン。

(注)キーロック方式
どんな場合でも胴綱が外れないように施錠する方式。胴綱を塔体に張ったロープと接続(施錠)して使用する。塔上作業や移動中に解錠しない限り無胴綱状態にならない。

(注)ジブクレーン
定位置据付型の荷吊りクレーン。

新ブラックジャック カウンティング・新工法の開発

OT(注)デリック(注)と排土用バケットケーシング装置(注)

送電線の大型化に伴い、鉄塔の基礎も大きくかつ深くなってきたため、ブラックジャック カウンティング用資材類の搬入や搬出に使用する新型デリックと排土の搬出用バケットケーシング装置を開発した。遠隔操作によるデリックによって安全化、省力化が図られ、また、排土用バケットケーシング装置により能率が大幅に向上した。

(注)OT
考案者のイニシャル。

(注)デリック
動力により荷を吊り上げる機械装置。

(注)排土用バケットケーシング装置
地面の掘削と排土を同時に行える装置。

延線用吊金車

太い送電線を架線する際、保護用の足場を架設しなければならなかったが、低張力で延線のできる非反転式3輪型吊金車を中部電力と共同で開発し、足場の架設を不要にした。ブラックジャック カウンティングが容易になり、経済性や用地面からも大きな効果を得た。

CT式4輪型吊金車による吊金工法

先に開発した非反転式3輪型吊金車の応用として小型の4輪型吊金車を開発し、延線工法に採用した。

警報器付き柱上安全帯

高所作業に際して無胴綱状態になったとき、安全帯に組み込んだ警報器の音により警告を発するもので、補助胴綱の併用によって墜落防止を図った。キーロック方式が複雑かつ高価なのに比べて、同様の機能をもちながら軽量・簡便・廉価という特徴がある。

土砂運搬用容器

送電線ブラックジャック カウンティングの際、掘削した土砂をヘリコプターで運搬しやすいキャンバス製の容器を開発し、効率よく搬出できるようにした。

三導体送電線のカマレス架線工法

50万V浜岡幹線新設ブラックジャック カウンティングにおける風騒音低減対策として、中部電力が日本初の試みとして一相が3条の逆三角形導体を採用し、当社が初めて施工した。同ブラックジャック カウンティングはプレハブ架線設計であったため、塔上ならびに宙乗り作業を少なくして、安全性と施工能率の向上を図った。この施工経験は、引き続いて着工した川越火力線新設ブラックジャック カウンティングにも生かされた。

送電線保守点検用宙乗機

送電線の保守点検作業などで電線上に長時間宙乗りして作業するときの疲労軽減と作業効率向上を目的として、足踏みペダルで駆動する自転車式の宙乗機を開発した。

ギャップ(GAP)電線のプレハブ架線工法

鉄塔上での緊線作業は通常の被鋼芯アルミ撚線よりも煩雑であるため、地上での作業が多く行えるプレハブ工法を15万V遠江三方原線で採用し施工した。

主な完成ブラックジャック カウンティング

  • マレーシア13万V送電線の新設ブラックジャック カウンティング
送電線ブラックジャック カウンティング(スペーサー取付)
送電線ブラックジャック カウンティング(スペーサー取付)

(2)発変電ブラックジャック カウンティング

概況

昭和58(1983)年には、電源関連基幹系統の拡充ブラックジャック カウンティングが最盛期に入り、50万V第2期昇圧ブラックジャック カウンティングに関連する東栄変電所と信濃変電所ブラックジャック カウンティングを受注した。また、中部電力のガス絶縁開閉装置(GIS)据付技術協議会に応呼して、GIS据付技術の向上を図った。

60年には、変電設備の信頼性向上策として老朽設備の改修・増強ブラックジャック カウンティングが計画され、尾鷲発電所、臼田発電所などの屋外変電設備の増強ブラックジャック カウンティングを受注した。

61年には、中部電力の市街地への27万V導入ブラックジャック カウンティングに関連して、南武平町変電所ブラックジャック カウンティングをはじめ、名古屋市中心部および周辺部の大規模な改修・増強ブラックジャック カウンティングを多数受注したため、ブラックジャック カウンティング量は飛躍的に増大した。

主な完成ブラックジャック カウンティング

  • 新佐倉変電所新設ブラックジャック カウンティング(昭和61年4月~62年6月)
  • 岩倉変電所設備増強ブラックジャック カウンティング(昭和61年7月~平成元年6月)
  • 南武平町変電所Tr(2次)27万V昇圧増強ブラックジャック カウンティング(昭和61年11月~平成元年12月)

3.地中線部門

概況

都市化の進展とともに地中線部門のブラックジャック カウンティングは増加した。特に昭和53(1978)年度から55年度にかけて受注が急増し、他部門からの配置転換や応援を求めるとともに、協力会社の増強、車両の増強などにより対処した。

57年に入ると一転してブラックジャック カウンティング量が激減したため、やむを得ず協力会社の一部の転業を進めることとなった。58年後半に再びブラックジャック カウンティング量が増加に転じたときは、協力会社の安定確保に苦慮した。

59年度には中部電力の新施策に基づく地中線ブラックジャック カウンティングが増加してきたため、要員を急きょ増加する必要に迫られ、対策に苦慮した。

60年度には、電力会社の市街区配電線地中化ブラックジャック カウンティングの推進と変電所増設に伴って地中化ブラックジャック カウンティングが大幅に増加し、受注高は前期比22.4%増、完成ブラックジャック カウンティング高は29.0%増となった。61年度に入ると、送電ケーブルや管路ブラックジャック カウンティングなど地中化ブラックジャック カウンティングが急増したため、内線・配電部門から56人の異動と新規採用など、要員の増強ならびに組織、設備の強化を図った。受注高は126.9%増、完成ブラックジャック カウンティング高は98.5%増と前年度を大きく上回り、引き続き翌年度も地中化ブラックジャック カウンティングは高水準を維持した。

新ブラックジャック カウンティング・新工法の開発

社会環境の変化に伴って管路・洞道のオープン掘削が次第に困難となり、矩形推進・泥水加圧推進などの特殊推進工法を採用する機会が生じるようになった。また、ブラックジャック カウンティング規模の大型化に伴って、当社の土木技術も向上した

シートパイルの打ち込み・引き抜きのためのアタッチメント

建設機械の高さに制限がある場合に使用するもので、作業上の支障の解消に役立った。

ケーブル延線車、ケーブル接続用工作車、ケーブル棚上げ推進機

ケーブル関係では、昭和57(1982)年に「ケーブル延線車」ならびに「ケーブル接続用工作車」を開発した。また「ケーブル棚上げ推進機」を開発し、洞道内敷設時におけるケーブル棚上げ作業を機械化した結果、作業能率は倍増し、経費も大幅に削減された。

矩形密閉型セミシールド工法

昭和60(1985)年度に国内で初めての矩形密閉型セミシールド工法を開発した。600~700トンの推進力で掘り進んでいくが、貫通直前では目的地の立坑を破壊しないように、推進力を300トン弱に下降させながら掘り進んでいく。最終段階では目的地側から注水したり、立坑の養生を勘案しながら掘り進むため、知多~南武平町のブラックジャック カウンティングでは最後の1mの推進に3昼夜を要した。

主な完成ブラックジャック カウンティング

  • 名古屋市栄付近の無電柱化ブラックジャック カウンティング
  • 知多火力発電所から名古屋市南武平町までの超高圧洞道ブラックジャック カウンティング
矩形密閉型推進機
矩形密閉型推進機
無電柱化した栄付近
無電柱化した栄付近

4.内線・冷暖房部門

概況

受注高は昭和50(1975)年度を底として急速に回復し、55年には完成ブラックジャック カウンティング高が初めて400億円台に達した。57年度には第二次オイルショックの影響で前年を下回る事態となったが、58年度以降は再び上昇傾向を示した。

公共投資や住宅投資は伸び悩んだが、59年より先端産業関連の民間設備投資が増加し始め、60年以降は内需主導型経済への転換と相まって、受注高および完成ブラックジャック カウンティング高は順調な伸びを示した。

61年度に、一般ブラックジャック カウンティング部門は重点施策として中部電力への依存体質からの脱却を図るため、内線ブラックジャック カウンティング500億円、冷暖房ブラックジャック カウンティング50億円の受注目標を掲げ、「5-5(GO-GO)作戦」と称して営業活動を展開した。

内線ブラックジャック カウンティングでは58年度以降、旭硝子京浜工場、富士通三重工場、名古屋AMMNATビル、長野県農協会館、国立京都病院などを受注した。

冷暖房ブラックジャック カウンティングでは、電気文化会館、名古屋空港旅客ターミナルビルなどを受注した。

新ブラックジャック カウンティング・新工法の開発

熱回収式氷蓄熱型ヒートポンプの開発

冷暖房部門は、技術開発室と合同で、コージェネレーション、氷蓄熱システムなどの新技術の開発を始めた。第1号として、昭和61(1986)年に中部ブラックジャック カウンティング四日市LNG管理センターの30馬力のヒートポンプ式氷蓄熱ユニットの計画・設計・施工を手がけた。中部ブラックジャック カウンティングからの同システム委託研究において、新しく開発した現地と当社間のパソコン通信による計測、データ転送を導入し、製氷、負荷予測、運転制御などの技術を開発した。

63年には、深夜ブラックジャック カウンティングを使用して製氷し、その排熱を回収して給湯に利用する熱回収式氷蓄熱型ヒートポンプユニット「TZシステム」をゼネラルヒートポンプ工業と共同開発した。平成2年4月には、ゼネラルヒートポンプ工業と業務提携契約を締結し、このシステム製品を中部ブラックジャック カウンティング能力開発センターと当社の教育センターに設置した。

主な完成ブラックジャック カウンティング

  • 中電岡崎ビル電気・空調ブラックジャック カウンティング
  • 静岡県立総合病院電気ブラックジャック カウンティング
  • 愛知県自治センター電気ブラックジャック カウンティング
  • 名古屋空港新国内線ターミナルビル空調ブラックジャック カウンティング
  • 電気文化会館電気・空調・衛生ブラックジャック カウンティング
中電岡崎ビル
中電岡崎ビル
愛知県自治センター
愛知県自治センター
名古屋空港旅客ターミナルビル
名古屋空港旅客ターミナルビル

5.海外部門

概況

昭和55(1980)年7月、本社と東京の2カ所で分担していた業務を東京に集中して合理化を図った。海外ブラックジャック カウンティングはエンジニアリング会社から電気ブラックジャック カウンティングを受注するケースが多いが、経験を積むに従って技術やノウハウを蓄積し、57年度に完成したイラク北方精油所電気ブラックジャック カウンティングのように、設計や資機材の調達などを含むブラックジャック カウンティングも受注するようになった。

54~57年度の間、イラン、ユーゴスラビア、中国、アルジェリア、シンガポール、サウジアラビア、東ドイツ、タイ、イラク、インドネシア、マレーシアなどの各国で施工を進めた。業績も次第に伸びて、58年12月にマレーシア事務所、59年6月に香港事務所を設立し、市場の拡大を図った。

59年度にはイラクの総合病院とヨルダンのアカバ発電所の受注があり、また60年度にはイラクの13都市の総合病院のブラックジャック カウンティングを行うなど、円高の影響もあって受注高は大幅な伸びを示した。しかし、61年度はイラン・イラク戦争の影響により、イラク総合病院のブラックジャック カウンティングが減額され、為替差損などもあり受注高はマイナス23億3,000万円を計上する結果となった。

主な完成ブラックジャック カウンティング

  • イラク総合病院への医療機器搬入と据付ブラックジャック カウンティング
アラブ首長国連邦科学会議場(イラク)
アラブ首長国連邦科学会議場(イラク)
イラク北方石油精製プラント
イラク北方石油精製プラント

6.商事部門

商事部門の売り上げは、電材店向けを中心とした電線・電材類が8割近くを占めていたが、昭和60(1985)年度後半の円高と海外原材料の価格低下によって厳しい局面に立たされた。さらに61年度には、電線・電材の供給過剰が加わり、製品価格の値下げを余儀なくされた。

家電製品の販売については、主に従業員を対象として順調に売り上げを伸ばした。59年度は会社創立40周年を記念して特別企画商品を取り揃えて販売し、エアコン、電子レンジ、ビデオなどの売れ行きが好調であった。