1987年に入社して、物流システムの営業に配属になりました。それから関西支社、本社の人事部、シンガポール、産業機械系の部門、再び関西支社、グローバル・営業統括本部、という経歴で、今に至ります。その中で、一番記憶に残っているのは、28歳くらいから30代前半に、物流の新しい市場をつくり出して、無我夢中で新規のブラックジャック やり方 カジノ開拓をしていた頃のことです。
当時、消防法が変わりました。それまでは150平米しか造れなかった建物が1,000平米まで許可されて、高さ6mまでしか建てられなかったのが20mまで許可された。物流の観点からしたら、「危険物自動倉庫がつくれるよね」っていう規制緩和でした。すぐに数名のプロジェクトグループができて、ブラックジャック やり方 カジノリーダー役を任され、夢中になっていろんなことを勉強しました。危険物の取り扱いに関する法律、規則、構造物にも絡んでくるので建築関係、土木関係など。あとは、防爆仕様になるので、どういった対応が必要になるか、どういうところでニーズがありそうかとか。
当時のマーケティングは4Pです。プロダクト、プライス、プロモーション、プレイスで、製品に関しては他社よりも早く標準化を仕立てて、短納期で納めるブラックジャック やり方 カジノことが強みになると。扱う荷物はほとんど同じ大きさです。だから、全てにおいて標準化を進めて短納期で、価格はそんなに安くせずに、すぐに価格提示できるコストテーブルみたいなものをつくって、皆で次々と動いていった。
販路も、今までと同じじゃ駄目だと。自分たちでも回るだけじゃなく、化学品を扱っている商社と付き合おうと。彼らは、危険物自動倉庫が必要な企業にすでに出入りしている。それに、危険物のコンテナを扱っている会社は、狙うべきブラックジャック やり方 カジノのとこへ行ってるから、そこと情報交換しようとか。皆で新たな入口を探し合いました。
プロモーションでは、ブラックジャック やり方 カジノに個別にも当たるんだけど、いろんな協会を攻めてみようかと、例えば危険物倉庫協会へ行って事務局と掛け合って、勉強会をやらせてもらって、その後、幾つかの業界でも行いました。とにかく、考えられることは全部やり切ろうみたいな感じで、皆でやっていったんです。すると、だんだん仕事も取れ始めて、1つのブラックジャック やり方 カジノを起点に、今で言うサプライチェーンですけど、その前後にどういうブラックジャック やり方 カジノがいるかを見ていくことも始めたんです。
私は、さらに若い頃に某化粧品会社を担当してたので、そこにもいろいろ危険物があったなと思い出して、儲かってるブラックジャック やり方 カジノに納めてる会社も儲かってるよねってことで、その化粧品会社さんへ久しぶりに伺って、「どういう会社から買ってるんですか?」って訊いて、「ばか、そんなこと言えるか」と返されるんですけど、「あのドラム缶見て帰ったら?」とこっそりアドバイスをくれた。ドラム缶を見ると、例えば〇〇有機化学、△△化学、□□乳化剤などの会社名が書いてある。よし、ここらを攻めようと。その後、全部じゃないけど、仕事が取れて。勝つためにはどういう人と組んだらいいのかということを徹底的に考えてやりました。
一方で、自分たちの強みが官庁との折衝能力だというのに気付いたんです。ブラックジャック やり方 カジノも初めての内容なので、折衝で失敗するといろんな指摘をされて、倉庫が建たなくなる可能性がありますから。ある技術職のベテラン社員の方を折衝の専門家に仕立てて、この人は全国のこれらの地域はすでに折衝しているので、うちに任せていただいたら間違いありませんと。ここで一歩間違えると建たなくなりますと忠告するわけです。そうするとブラックジャック やり方 カジノも、これはIHIに頼んだ方がいいのかなとなった。ちなみに、その方には70歳を超えた今も現役でその役割をしてもらっています。
そうこうしていると競合他社も参入してきましたが、勝率も良くて、十数連勝して、勝ちまくりました。先輩にもこのジャンルをやった人がいないから、自分たちで道を切り開いていく。できることは全部やりきった感があったし、競合他社に対しては「やれるもんならやってみろ」ブラックジャック やり方 カジノ自信が生まれました。仕事が面白かったし、毎日が充実していました。
その勢いで課長代理として大阪支社に異動しますが、納めたことのあるお客さまの案件で、大きな失敗をします。「郷に入っては郷に従え」なのに、ブラックジャック やり方 カジノの事情を考えず、社内の事業を優先に進めました。すると、ブラックジャック やり方 カジノとの間で、不協和音が生まれて、精神的にかなり追い込まれました。当時の課長に、「ちょっと時間をください。今、私は精神的におかしくなっています。このままやると、この仕事は失敗するかもしれません。大変申し訳ない」って報告したら、その課長が「おまえを大阪に呼んだ甲斐があった」と。「リーダーになる人間は順風満帆じゃ駄目なんだ。失敗しないと、弱さを知らないと、良いリーダーになれないから、おまえは今、良い失敗をしてるんだ」って言ってくれた。
仕事は、うまくいく話ばっかりじゃない。むしろ、苦しいことが多い。でも、苦しい中で得られる経験というものがある。ブラックジャック やり方 カジノ経験は、自分の芯になり、ずっと生きてるんですよね。