1990年、当時は石川島播磨重工業でしたが、入社して、研究ブラックジャック カウンティング部門に配属になりました。そして、1年もしない内に外の研究機関に出向になりました。経産省系の高温超電導に関する研究をやっているところでした。そこには3年ほどいましたから、多くの国内外の人との交流が社会人としてのスタート時に標準となり、良い意味で、IHIに染まらなかったんです。
若い頃の仕事で印象に残っていることを挙げるとすると、2つあり、1つは原子力に関する研究です。原子力発電の中心部には燃料棒が入っているリアクターがあります。このリアクターの長寿命化が研究ブラックジャック カウンティング課題でした。電力会社さんのご協力を得て、その1つの手法を実際の原子力発電所で試験できました。
ブラックジャック カウンティング所に入るには、いくつもセキュリティーがあって、服も着替えながら、放射線アラームも着けながら、原子炉の燃料棒が保管されている燃料プールで実際の試験をさせていただきました。今思うと、よくやらせてくれたなと。内部の人たちも慎重に行動されていて、規律も厳しくて、そういう非日常の緊張感と、通常業務では行けない環境に身を置いていることのワクワク感、高揚感、それが印象に残っています。
それから、もう1つは、ロケットの新しい燃料のブラックジャック カウンティングです。燃焼ガスを噴射することにより推力を得て姿勢制御するスラスタの試験を行いました。IHIの相生事業所にある試験場で試験した時には震えましたね。テレビでよく見るカウントダウンが始まるんですよ。5、4、3、2、1と。ちゃんと火が付いて噴射してくれるのか、燃焼が最後までいけるのかという不安の中で、カウントダウンが始まった時には、身震いするような緊張感でした。だから、燃焼がうまくいって、すべてが終わった後の脱力感、というか疲労感だったでしょうか。それがものすごく大きくて。これも印象に残っています。
若い頃に、違う分野で、社内だけでなく社外でも、わくわくすること、厳しい体験、いろんなことを経験できたから、ブラックジャック カウンティングらが自分の中で基本線となり、広い分野で、広い視野で考えられるようになったと思っています。